2010年01月01日

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本サイトでは、博士課程における経験を活かしてキャリアを構築されている方を対象にインタビューを行っています。


はじめに


第1回インタビュー 喜熨斗 勝史(きのし かつひと)氏


第2回インタビュー 片岡 達彦(かたおか たつひこ)氏


第3回インタビュー Y氏


第4回インタビュー 高橋 修一郎(たかはし しゅういちろう)氏


第5回インタビュー 三浦 有紀子(みうら ゆきこ)氏 前半  後半


第6回インタビュー 荒井 健(あらい けん)氏 前半  後半

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2009年01月29日

第6回インタビュー 荒井健氏(後半)

後半では、「日本人の優秀な面をうまく活かすことができていないのではないか」という点について、日米の研究者育成システムの違いを様々な観点から伺った。

日米の比較:大学院のシステム

「日本と米国では、博士号を取得するための審査の過程が大きく異なります。ただ、私が知っているのは生命科学系の大学院のシステムなので、これから述べることは他の分野では少し状況が異なるかもしれないことを始めにお断りさせていただきます。
日本の場合、大学院に進学すると、まずは修士課程の大学院生として2年間の研究を行うことになります。所属する研究室は、学部時代に選択した研究室に引き続き在籍することが多いです。そして、大学院生は修士課程の間に、博士課程に進むか修士号を取得した後に社会に出るかを選択することになります。博士課程に進むことを決めた学生は、一般的には同じ研究室で研究を続けることとなり、その場合は無試験で博士課程へと進学します。その後、博士課程の3年目が終わる頃に博士論文を書き、主査の先生と副査の先生数人と面接をして博士号を取得することとなります。主査の先生は基本的には同じ研究室のボス、副査の先生は別の研究室の教授または准教授となります。博士号の取得条件としては、『査読システムのある国際誌に研究論文を報告しないといけない』などの一定の決まりがあるのですが、この制限は厳しくない学部や学科も多く、博士課程3年目の年度末である3月に一斉に博士号を取得して卒業となることが多いです。
それに対してアメリカの大学院は、修士号を取得するコースと博士号を取得するコースは独立したものとして捉えられています。つまり、修士号のためのコースに入った大学院生が、在学中および修了後に博士号を取得したいと思ったら、改めて博士号のためのPh.D.コースの大学院生として、大学院に入学し直す必要があります。また、博士号取得までの期間は平均で5〜6年間であり、何年かかるかは各人の研究成果に左右されます。そのため、日本の博士課程のように、年度末に全員が一斉に博士号を取得して卒業ということはありません。」

また、大学院生が研究室を選択するときのシステムにも大きな違いがあると指摘される。

「アメリカのPh.D.コースの学生は、大学院の1年目にローテーションと呼ばれるシステムを活用して自分が在籍する研究室を決定します。ローテーションとは、自分の興味のある研究室を複数選び、3〜4ヶ月間ずつ一時的に在籍するシステムのことです。このシステムにより、学生は各々の研究室の研究内容や雰囲気を良く理解してから自分の在籍したい研究室を決めることができます。とは言っても、学生の希望が必ずしも通るわけではなく、研究室のボスが受け入れを拒否する場合もあれば、その研究室の資金的な問題から学生を受け入れることが出来ない場合もあります。つまり、ボスは自分と相性が良くなさそうな学生は受け入れなくても良いのです。また、アメリカの大学院生は研究室からお給料をもらっているので、研究費の獲得が充分に出来ていない研究室は、学生を受け入れたくても給料を支払うことが出来なくて受け入れられない、というアメリカならではの厳しい現実も見られます。
日本の場合、所属する研究室の実情を事前に仕入れるチャンスはそれほど多くありません。また、一般的には学部と大学院は一続きとなっているので、多くの大学院生にとっての所属する研究室は、学部時代に所属していた研究室と同じとなっています。そして、学部のときに所属する研究室を決めるときには、学部側が各研究室の受け入れ人数を一律に何人以上何人以下と示すことが多く、学生の希望を出させた後でその枠に入らない場合はクジ引きなどで配属先を決定させることがあります。もちろん、その結果で決まった配属リストに対して、各研究室のボスが異議を唱えることは難しいです。そして、先ほどもお伝えしましたが、学部で配属する研究室が決まると、多くの人は大学院でも同じ研究室に所属することとなります。
大学院で所属する研究室を選ぶためのシステムに関して、日米どちらのシステムが良いかを一概に言うことは出来ません。しかし、その後の各学生の研究生活の充実度を考えると、私個人としてはアメリカのシステムの方が妥当ではないかなと思っています。」

さらに、大学院での学生の教育に関しても、日米で大きな違いがあるという。

「大学院生の研究テーマの進め方も、日本とアメリカでは大きく異なります。日本でもアメリカでも、基本的には研究テーマは各々の研究室から学生に与えられます。しかし、日本では与えられたテーマの進捗について研究室の外で議論する機会はあまりなく、基本的には配属された研究室の中での議論をもとに研究テーマが進められます。アメリカの場合は、研究テーマが決まった直後から定期的に、日本で言うところの主査や副査の先生と公式な会議をする必要があります。その会議のために学生は、自分の研究テーマの目的・実験手技の妥当性・実験結果の考察・今後の研究計画などを細かく資料としてまとめ、スライドで発表する必要があります。その会議では、自分が所属している研究室以外の先生も参加するため、多方面に渡る質問が来ることもあり、そこでの質疑応答やディスカッションは、誤った方向に進みそうな研究テーマの軌道修正に役立ったり、研究テーマをより発展させられるようなアイデアが浮かんだりします。また、専門性が微妙に異なる研究者に対して、自分の研究の正当性や新規性を納得させる必要もあるので、自分の研究テーマの重要性を明確に説明するスキルを磨くこともできます。したがって、アメリカの大学院生は、研究活動に関する幅広い能力を向上させる機会を、日本の大学院生とは比べものにならないくらいに多く得ることができます。その結果、日本の博士号取得者は、多くの優秀な人がいる一方で、全体を見てみると、その質に大きな幅が出てきてしまいます。幅があるというよりは、博士課程修了直前の学生の質を日米で比較したときに、群を抜いて下のほうに位置する学生が日本では存在してしまうことになる、といったほうが適切かもしれません。
ここで問題なのは、アメリカでは博士号に値しない学生に対して博士号を与えることはないのですが、日本の場合はそうではないということです。先ほども触れましたが、日本では博士課程3年目の年度末に博士号を授与します。そのときに、主査である研究室のボスが、『自分の退官が近いからその前にきちんと学生に博士号を与えておかないと』とか『企業に内定が決まっている学生だから博士号を与えてあげなければ』とかという、研究とは関係のないことで博士号を与えてしまうことがあるのです。実際に私は、アメリカのシステムでは博士号は決して取得できなかっただろうなと思うような日本人の博士号研究者に何人も出会っています。そういう人たちに共通するのは、なんとなく周りに流されて博士課程に進学し、なんとなく博士号をとらせてもらったという感じの人です。ただ、誤解があってはいけないので付け加えておきますが、日本の博士号取得者には優秀な方は数多くいますし、むしろ平均として考えれば世界的にも優秀な部類に入ると思います。また、アメリカのシステムが全て良いというわけでもありません。しかし、大学院での教育システムに関して言えば、日本はアメリカに学ぶことが多く、アメリカの良い点を仕入れれば、日本の博士号取得者の質が大幅に向上するのではないかと思っています。」

大学院に入ってくる学生の素質の違いというよりは、システムの違いによって博士号を取得する学生の能力が大きく変わると荒井さんは指摘される。ただ、元々持っている素質について言えば、日本人研究者は極めて優秀だとも仰る。

「日米の博士号取得者に能力の違いがあるとすれば、それは元々持っている素質の違いではなく、大学院における教育システムの違いが大きく影響していると思います。むしろ個々人の素質に関しては、私が見た限りでは日本人はかなり優秀だと思います。日本の初等教育のシステムは、色々な批判があるものの、日本人の知識レベルを格段に底上げするものであると個人的には思っています。また、日本人は手先が器用なので実験技術が高く、真面目に物事をコツコツと進められる国民性なので、こちらにきている日本人研究者は他の国から来ている研究者よりも『優秀な人』が多いと思います。実は、こうした印象は私の勝手な思いこみではなくて、アメリカでは比較的良く知られた事実です。その証拠に、アメリカでは多くのボスが日本人研究者をポスドクとして採用したがります。」

ただし、その事実は必ずしも手放しで喜べるものではないとも荒井さんは仰る。

「研究室のトップであるボスが、日本人研究者をポスドクとして採用したがる理由は、真面目で仕事が丁寧だという点だけではなく、日本人研究者に『欠けている能力』が評価されていることとも関係しています。先ほどの話題と関係があるのですが、残念なことに、日本人ポスドクは他の国のポスドクと比較すると、自分の考えを主張したり、周りを説得したりする能力に欠けていることが多いです。これは、日本という国では、自分の主張をはっきりと述べることは良しとされない文化とも関係しているのかもしれません。また、特に日本人男性に多いのですが、自分の『上手でない英語』を聞かれるのが恥ずかしいということで、異常なほど引っ込み思案になってしまう例もよく見られます。いずれの理由にせよ、このような性質の研究者は、ボスの立場からすると、自分の言ったことを文句も言わず忠実にこなしてくれる『扱いやすい』働き手として映るのです。さらに突っ込んだ事情をお話します。アメリカにいる日本人ポスドクは『留学』というつもりで来ている人が多いです。『留学』は英語では“study abroad”ですが、この単語が示すように留学には『海外で学ぶ』という概念があります。そのため、ボスの指示がおかしくても、お給料の少なさに不満があっても、『自分は学んでいる立場だし、いずれは日本に帰るのだし』ということで、直接ボスに自分の意見をぶつける日本人ポスドクは多くありません。また、一時的な滞在で帰国するため、研究室のボスは、その人のキャリア構築の面倒を見る必要がなく、また、将来的には別の国で研究をすることになるので研究費獲得などの研究面でのライバルとなることがありません。つまり、他の国のポスドクを雇うことよりも、日本人ポスドクを雇ったほうがボスとしては気持ちが楽なのです。
アメリカのボスが日本人研究者をどのように見ているかについて、実際に私が経験した例をお話します。こちらでは若手研究者のためのキャリア構築セミナーなどが、大学主催で頻繁に開催されています。私も何回か参加しているのですが、ある回のセミナーは、私と同じような立場の若手研究者2〜3人と教授・准教授クラスの研究者1人が小グループを形成し、そこで各々の若手研究者の事情に対してシニアな研究者がアドバイスをするというスタイルでした。そこで私は『自分で研究計画を立て実験を遂行し、なおかつ研究費獲得のための書類を作成するのは時間的に厳しいと感じている』というようなことを述べました。それに対してのアドバイスは『君は日本人なのだから日本人ポスドクを見つけやすいだろう。ここは有名な大学だし、君のいる研究室のボスが著名な研究者であったら、無給でもポスドクをしたがる人が見つかるんじゃないか?自分の知り合いにも、そうやって日本人ポスドクを見つけて、自分では実験をせずに研究費獲得の書類を作成している人がいるよ。実験をしながらの書類仕事は大変だから、そういう方法で書類仕事に使える時間を確保する必要があると思うよ』でした。始めは冗談で言っているのかなとも思ったのですが、どうやら本気で私のことを考えてのアドバイスであったようです。自分のことを真面目に考えてくれたことは嬉しかったのですが、日本人研究者の一人としては少し寂しい感じもしました。ただし、日本人ポスドクの将来のことを考えて積極的に育成してくれるボスも当然いるので、必ずしも日本人ポスドクのことを『悪い意味』で利用しようというボスだけではないことを補足しておきます。」

日米の比較:博士号取得後の研究者育成と博士号に対する認識

次に、博士号を取得した研究者の育成システムとキャリア構築についてのお話も伺った。

「当然のことですが、博士号を取得したばかりの人は、研究者としてはまだまだ半人前です。したがって、一人前の研究者となるためには、博士号を取得した後も様々なトレーニングが必要となってきます。実は、アメリカでの『ポスドク』というのは、そのような『新人研究者の育成期間』として捉えられることができます。日本では、企業研究者となることを決めた博士課程の大学院生は、大学院在学中の就職活動により内定をもらい、博士号の取得と同時に企業に入社します。しかし、アメリカの企業では、ポスドク経験のない博士号研究者を研究職として採用することは一般的ではありません。もちろん、どちらのシステムが優れているかを決めることは出来ません。しかし、『単に博士号を取得しただけでは役に立たない』というアメリカ企業のスタンスを見ると、日本のアカデミアも企業も、博士号を取得した研究者の育成と活用について、もう少し注意を払っても良いのかもしれません。」

更に、修士の学位で企業に入社しても『研究者』という肩書きがもらえる日本の状況は世界標準ではないという事情を指摘される。

「海外まで視野を広げると、学位に対する認識が変わってきます。日本の企業では、博士号取得者も修士号取得者も、企業で研究をしていれば同じ研究員という肩書きが与えられます。しかし、この『常識』は、一歩日本から外に出ると常識ではありません。たとえば、アメリカの企業では、博士号を持っていない人は、いわゆる『研究職』に就くことが出来ません。知り合いから聞いた話を持ち出して恐縮ですが、博士号と研究職の関係についての日米の考え方の違いを示す例を紹介します。日本の企業とアメリカの企業がお互いに研究者を出して会議を開こうとしたときの出来事なのですが、日本の企業が修士号取得者を『研究者』として出したら、アメリカの企業では『博士号を持った人を出してください』と言ってきたそうです。私は、博士号取得者が修士号取得者よりも優れていると言うつもりは全くありません。実際に会社で研究をしていたときに、非常に優秀な修士号研究者を何人も見てきました。そのため、日本企業が修士号研究者も研究職として採用し活用できていることは、アメリカ企業にはない利点であると個人的には感じています。ただ、現実問題として、研究者としての能力とは関係のないところで、研究者として見なされるかどうかが決まることが海外ではあります。したがって、自分の活躍の場を海外に求める可能性のある人は、学位に対する国ごとの認識の違いも注意しておく必要があるかもしれません。」

日本企業が修士号研究者を上手に活用している一方で、博士号研究者の活用はそれほど上手くは進んでいないようだ。

「多くの日本企業では、博士号研究者も修士号研究者も、同じ研究職として4月に一斉に新入社員として採用します。もしかしたら意外に思われるかもしれませんが、アカデミアでの研究の進め方と企業での研究の進め方には、大きく異なる点が多く見受けられます。そのため、入社した時点では、博士号研究者も修士号研究者も『企業研究者』としての経験はゼロで、両者ともに同じスタートラインにいることになります。しかし、博士号研究者の場合は、博士号の学位を取得しているがために、修士号研究者に比べると、一人前の企業研究者となるための教育が不十分なことがあります。さらに、『博士だから出来るだろう』という目で見られることもあり、仕事への期待レベルが最初から高いこともあります。そのため、このような高いレベルの期待に見合う仕事をしないと、『博士号研究者はだめだ』と評価されてしまうことになります。しかし、各々の博士号研究者のポテンシャルを見極めないまま育成努力もしない企業の中で、高いレベルの仕事を期待されて遂行できずに潰れていく研究者を見ると、企業にとっても研究者にとっても幸せな状態ではないなと思ってしまいます。とはいえ、先ほど触れたように『博士号に値しない博士号取得者』が企業に生息していることも事実です。そのため、やや意地悪な見方かもしれませんが、企業にとっては、博士号研究者の育成や活用のシステムを作るよりも先に、個々の研究者の能力を正確に把握できるような『目』を持った人間を育成することが必要なのかもしれません。」

いずれにしても、日本企業で優秀な博士号研究者を上手く活用するためには、システム面での整備が必要だと仰っている。

「同期入社の博士号研究者と修士号研究者を、入社直後の時点で比較すると、博士号研究者の方が研究者として優れていると言っても間違いではないと思います。これは、その時点で3年間の研究経験の差があるので当然といえば当然です。しかし、入社5年後、10年後になると、状況は異なってきます。あくまでも私個人の印象ですが、現在の日本企業の中では、どちらかと言えば、博士号研究者よりも修士号研究者の方が活躍しているように思います。これは、今までのところ、多くの日本企業では博士号研究者を雇った経験があまり多くなく、そのために、博士号研究者を活用しきれていないことと関係しているのではないかと思います。しかし、最近では博士号研究者を新卒や既卒に関わらずに積極的に採用しようという動きがあると聞いていますので、今後は日本企業においても、博士号研究者が自分の能力を充分に発揮できるような状態になったらいいなと思います。いずれにしろ、博士号研究者は、新卒既卒を問わず、企業に入ったばかりの頃は『企業研究者としては未熟』なので、企業側が博士号研究者の実態に則した育成システムを確立する必要があると思います。もちろん、博士号研究者の側も、『育成されて当然』という姿勢でいるのではなく、博士号取得者としての良い意味でのプライドを持って、日ごろから自分を磨く努力をしないといけないと思います。ここ数十年くらいは、修士号研究者が日本企業の研究所での主力であり、博士号研究者の寄与度はそれほど高くはありませんでした。ですが、今後は、博士号研究者の持つ能力を上手に伸ばし、かつ積極的に活用していけるようなシステムを生み出した企業が、国際的な競争力を獲得して発展していくのではないかと思っています。ただし、その場合は、博士号研究者が修士号研究者の活躍の場を奪ってしまってはアメリカ企業と同じになってしまうので、修士号研究者の良さを打ち消さないような注意が必要であると思います。」

日米の比較:人材の気質



大学院のシステムに関してはアメリカに見習うべき点があると仰る荒井さんに、逆に日本が持つアドバンテージはないのか伺った。

「研究のシステムや研究を取り巻く環境について、アカデミアに限って言えば、日本になくてアメリカにはあるという例がとても多いです。大学院生の教育システム以外の例では、アメリカでは基礎研究に使える資金が多い、30代半ばの若い研究者でも独立した自分の研究者を持つことができる、などが挙げられます。ただ、実験機器などのハード面に関しては、どちらかと言えば、日本の研究室の方が最新のものを所有していることが多いように感じます。しかしこの点は、日本の研究費がポスドクなどの労働力を雇うことよりも機器などの購入に使うことを推奨されていることが関係しているため、一概に日本が持つアドバンテージと言ってよいかどうかはわかりません。と言うのも、良い研究成果を出すのは、実験機器ではなくポスドクなどの研究者です。そのため、いくら最新の機器があってもそれを活用できる優秀な使い手がいないと、その機器の価値は半減してしまいます。しかし、日本に全くアドバンテージがないということではありません。日本はシステム面でやや後れをとっているかもしれませんが、個々の研究者のポテンシャルを見れば、日本人は『実験者』として非常に優秀です。そして、それこそが日本の持つアドバンテージではないかと思います。
日本人とそれ以外の国のポスドクを比較した場合、日本人は実験技術などに注意を払い自分のデータに自信を持てるところまで繰り返し実験をする感じですが、他の国の人は、実験の精密さよりも得られた実験データが、『自分の仮説や研究テーマのストーリーに沿っているかどうか』を重要視することが多いように思います。それと似たような傾向として、研究成果のプレゼンテーションでも、日本人は実験データを理解してもらうことに意識を向けますが、こちらの人は研究プロジェクトのストーリーを重視する傾向にある気がします。ただ、これに関しては個人差があるので、ステレオタイプ的に他の国の人が必ずしもそうであると言い切ってしまうことはできないということを念のため付け加えておきます。」

この違いは『研究費獲得のための申請書』と『研究活動に対する考え方』に関する日米の違いが影響しているようだ。

「アメリカで研究費を獲得するための申請書は、日本と比較すると、そのボリュームはかなり大きくなります。私も現在、新たな研究費を獲得するために申請書を作成しているのですが、その申請書は、事務的な書類を除いた研究計画の部分だけでも、レターサイズで20ページ以上にわたり詳細に書かなければいけません。申請書を審査する人は、通常はその分野で著名な研究者たちなので、当然とても忙しい人たちです。ですが、審査員の先生方は、そのような書類を一人につき何十と読んで研究費を与えるかどうかの判断をしなければなりません。したがって、忙しい人にも読んでもらい評価されるためには、研究計画書は仮説の妥当性を明確に示し、なおかつ申請する研究がいかに重要なものであるかを魅力的な文章で興味深いストーリーのもとで綴られる必要がでてきます。また、そのようにして得られた資金は、自らの仮説の信憑性を高める実験データを得るために使われるのですが、その実験データは他人に出してもらうことが多いです。言い換えれば、得られた研究資金の一部を使って人を雇い、その人に自分の仮説が正しいことを証明する実験データをとらせようとするのです。このような経緯から、こちらの研究者が自身の研究成果を発表するときは、得られた実験データの報告というよりはむしろ、自らの『仮説』と『その妥当性』を紹介しているような感じになります。つまり、得られた実験データは、仮説の信憑性を高めるためのものでしかなく、実験そのものに対しての注目度はあまり高くはないのです。この話は、やや誇張した表現かもしれませんが、研究そのものに対する日本人研究者とそれ以外の国の研究者の考えの違いを大まかに理解していただければと思います。」

また、日本人研究者の持つ『実験者として優れている』というアドバンテージは、それだけではあまり意味がないとも指摘される。

「これまでに述べてきたように、日本人研究者の『実験技術・実験データ』に対する意識は非常に高く、それゆえ『実験者』としては世界的にはトップレベルにあります。このことは、日本が持つ大きなアドバンテージには違いありません。ただ、アメリカでは『一つ一つの実験』という小さな部分の完成度の高さよりも、一連の実験結果をまとめた研究プロジェクトの新規性やストーリー性という大きな部分の面白さで評価されることが多いように感じます。繰り返しになりますが、日本人は自らの研究プロジェクトの重要性を他者に納得してもらうように説明することが苦手です。そのため、日本人研究者はその能力の割に、『研究者』としての評価は悲しいくらいに低いように思われます。ただ、研究は一つ一つの実験データがないことには意味をなしません。『実験者』として優秀になるのには、真面目さや丁寧さなどの一朝一夕には身につけられない資質が必要です。しかし『アピール上手』になるためには、練習や訓練などで比較的短期間の努力でもできます。そのため、日本人研究者が『実験者』としてしか評価されていない現状でも、少しだけ努力の方向性を変えれば、すぐに『研究者』としても評価されるようになると思っています。」

これらの日米の人材の気質の違いは、日本人が注意するべき点を考える上で重要だという。

「アメリカは良いシステムを作ることが得意です。このことは、自分の得意なルールを作って勝負することが上手だということにもつながります。現在、自然科学の研究分野での共通語は、アメリカの言語である『英語』です。どのような素晴らしい研究成果を出しても、日本語で発表していては世界では認知されません。また、研究のトレンドも研究成果を評価するシステムもアメリカが作っています。つまり、日本人はアメリカが作ったルールという不利な状況のもとで勝負をしていることになっています。ですが、そのような状況でも日本人研究者は多くの重要な成果を出しているのです。私は日米両国で色々な国の研究者を見てきたのですが、日本人研究者はかなり優秀だと感じています。しかし、その優秀さがあるにも関わらず、言葉は悪いですが、日本人はアメリカのために利用されていることが多いです。こういった状況を私は少し寂しく思うことがあるので、個人的な希望で申し訳ないのですが、これからの時代は、日本が研究を含めた様々な分野で世界のイニシアチブをとってほしいと思っています。このことは決して夢物語ではなく、日本人の持っている『特殊な能力』をより生かせるように、今ある欠点を克服していけば実現できると信じています。ただ注意しなければいけないのは、日本のシステムを全てアメリカ流にしては意味がないということです。全てのシステムは良い面も悪い面も両方とも持っています。そして、日本のシステムにも当然のことながら優れている点が存在します。ですが、今の日本は、日本のシステムの良い点を捨て、アメリカのシステムの悪い点を拾っているような気がすることもあるので、日本の将来に不安を感じることがあります。」

最後に、日本とアメリカの2か国での研究生活を経て、日本人の学生に期待している点を荒井さんに伺った。

「私自身が駆け出しの研究者なので、『学生に期待している点』などと偉そうに言える立場にはないのですが、日本人の学生に向けて2点だけお伝えしたいことがあります。
1点目は、日本の学生はとても優秀だということです。日本人は、どんな作業に対しても、細かい部分まで気を配り、真面目に取り組みながら努力することが出来るという強みがあります。このようなコツコツ頑張るタイプの人は、我の強い外国人と比べると目立たないので評価されにくいのですが、その仕事が『本当に必要なもの』であれば、必ず評価される日が来ます。そのため、評価されていないと感じて精神的に辛くなっても、諦めずに頑張ってもらいたいと思います。
2点目は逆に、日本の学生にも足りないことがあると言う点です。私の思い違いであれば嬉しいのですが、最近では、自分の頭で考えることが苦手な人が増えてきているように感じます。そのため、『何が正しくて何が正しくないのか』とか『自分は何がやりたいのか』というような根本的な質問に対する答えを、学生の頃から考える習慣を身につけておいたほうがいいと思います。模範解答のあるテストの問題を解くのとは異なり、このような類の問題に対する答えを見つけだす能力はすぐには身につきません。また、社会に出てからは、このような問題とは常に向き合っていかなければなりません。そのため、この能力がないと、せっかくの真面目な努力が『無駄な努力』となってしまうことがあります。
したがって、日本の学生に期待している点をまとめると『自分の頭でよく考えて、正しいことを真面目に取り組めるような能力を身に付けた社会人になってもらいたい』ということになります。実は、これは私自身の目標でもあり、そのような『優秀な社会人』になれるように努力をしているところです。最後になりましたが、もし可能であれば、皆さんと一緒に力を合わせて、日本が世界の中でリーダーシップをとれるような国になれるような活動をしていければと思っています。」


【荒井 健氏】
ハーバード大学医学部 インストラクター
マサチューセッツ総合病院 アシスタント・ニューロサイエンティスト

1998年 東京大学薬学部卒業
2003年 東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了(薬学博士)
同年 武田薬品工業株式会社 入社
2006年 武田薬品工業株式会社 退職
同年 ハーバード大学医学部・マサチューセッツ総合病院 リサーチフェロー
2007年 ハーバード大学医学部 インストラクター
2008年 マサチューセッツ総合病院 アシスタント・ニューロサイエンティスト
http://www.linkedin.com/in/kenarai
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第6回インタビュー 荒井健氏(前半)

今回は国内で博士号を取得された後に日本企業で研究職を勤め、現在はハーバード大学メディカルスクールで研究をされている荒井健氏にインタビューを行った。企業を辞職してアカデミアでの研究を選ぶまでの経緯や、アメリカの研究制度や大学院の実情についてお話を伺った。

キャリアチェンジ:企業の研究職からアカデミアへ

まず、企業からアカデミアへと研究の場を移された理由について伺った。

「理由は2つありました。
1つ目の理由は私の専門分野に関係することでした。私が企業で携わっていた疾患領域は、治療薬を開発することがとても難しい領域です。原因はいくつかあるのですが、その疾患の病態メカニズムに不明な点が多くあることが大きな要因であるとされています。私は病態メカニズムを明らかにするための基礎研究を自分自身の手で行いたいと思いましたが、企業では色々な制約があり、基礎研究だけを長く続けるのは難しい状況にありました。そのため、アカデミアの研究室でこの疾患の基礎研究を行うことで、長い目で見て治療薬の開発に貢献しようと思いました。
2点目の理由は、自分自身の中にある研究者としての夢でした。会社での研究生活は非常に充実していて楽しかったのですが、心のどこかに『自分の考えや仮説に沿った研究を思う存分したい』という気持ちがありました。日本では難しいことですが、アメリカのアカデミアでは上手くいけば若手研究者でも自分の研究室を持ち、自分の興味のある研究を自分の考えで進めることが可能です。そのため、非常に悩んだのですが、1点目の理由と合わせ、企業からアカデミアというキャリアチェンジをすることを決断しました。」

この荒井さんの決断に対する周りの人の反応は様々であったが、快く応援してくれる人もいたそうだ。

「企業からアカデミアに移ることについての周りの反応ですが、意外なキャリアチェンジだと、やや否定的に捉えられることが多かったように記憶しています。ただ、同じ研究グループで働いていた同僚たちや、会社の年配の方々からは、とても暖かいお言葉を頂くことができました。たとえば、研究成果を自分の名前で外に公表できないというのは寂しいところもあるだろうと理解してくださる方もいましたし、リスクをとって外に飛び出す気概を買ってくださる方もいました。また、外で色々と学んで、また会社に戻ってきてほしい、と言ってくださった方もいました。そのようなお言葉は本当に嬉しかった覚えがあります。実は、そういった方々とは今も連絡を取り合っているのですが、いつも優しい言葉をかけてくださるので、自分は本当に恵まれているんだなと思っています。」

とはいえ、決断までには様々な悩みや不安があったそうだ。

「キャリアチェンジを決断する前は、会社を辞めることに伴うデメリットが次々と頭に浮かんできて非常に悩みました。特に気になっていたのは、日本の企業を辞めてアメリカのアカデミアに行く場合に、生活の保障が全くなくなる点でした。言い過ぎかもしれませんが、日本企業では基本的には終身雇用となっているため、特に大きな問題を起こさなければ定年まで安定して勤められます。しかし、アメリカのアカデミアでは、いつクビを切られてもおかしくありません。実際、身近でクビを切られた研究者を何人も見てしまいました。また、お金の話になってしまい恐縮ですが、給与面でも勤めていた会社の方が条件が良いことは分かっていました。そのため、会社を辞めることで、自分の生活が不安定になるのではないかと、かなり不安になっていました。それに加えて、『自分の能力が通用するのだろうか?』という疑問も、キャリアチェンジを決断することを躊躇させる原因となっていました。
考えた結果、『企業からアカデミアに移って研究をしたい』という希望を優先し、目標に沿って頑張ろうと思いました。もしも自分自身の能力が通用しなかったら、そのときにまた考えよう、と思っていたように記憶しています。」

アメリカに来てみると、日本で想像していた以上に研究生活は厳しいと仰る。

「アメリカに来てみると、デメリットとして考えていたことが、予想よりも厳しいということがわかりました。恥ずかしい話なのですが、会社に所属しているということがどれだけ安全な立場にいることかということを、当時の自分は全く理解していませんでした。今はアメリカのアカデミアという保障の全くない環境で研究をしており、健康面か研究面のいずれかに問題が生じたら、その時点で生活がかなり厳しくなることがよくわかります。また、最近ではポスドクとしてアメリカに来た外国人研究者が自分の研究室を持つのはかなり難しい状況です。私の周りにも、とても悲惨な状態に陥っている研究者が何人もいます。そういう人を見たり、アカデミア研究者の厳しい現状を聞いたりすると、自分は今後どうなってしまうのだろうかと、とても不安になることがあります。ですが、未来のことはあまり心配しすぎても仕方がないので、とりあえず今のところはアメリカに来た2つの目的である『治療薬の開発に貢献できる研究成果を出す』と『自分の研究室を持つ』ということに向かって集中しようと思っています。」

企業を辞することによるデメリットもあった一方で、荒井さんはアメリカのアカデミアにおける研究生活を送ることで得ているものもまた大きいと考えられている。

「アメリカのアカデミアで研究者となるメリットですが、私は主に2つのことを考えていました。
1点目は、研究の方向性を自分の考えである程度決めた上で、自分で出した研究成果を自分の名前で公表できる点です。実は、私はアメリカに来て最初の1年半は予想もしなかった酷い『トラップ』にかかってしまい、色々と苦労していました。ですが、その後は運よく持ち直し、今では小さいながらも自分の研究費をいくつか獲得して比較的自由に研究が出来ているので、1点目のメリットは享受できているかなと思っています。
2点目としては、様々な人と出会う機会が増えるメリットを考えていました。日本の企業の場合は、大きな規模の会社で研究職をしていると、若手の研究者が外部の人と出会う機会はそれほど多くありません。しかし、アメリカのアカデミア研究者は、大学や研究室に所属しているとは言え、基本的には一人一人が『フリーランス』のような立場にいるので、活動の自由度は日本の企業研究者よりもずっと大きいです。実際、こちらのメリットは予想以上に大きく、これまでに様々なバックグラウンドの人と出会うことができ、会社にいたときよりも幅広い視野で物事を考えられるようになってきていると思っています。」

荒井さんにご自身の決断をどのように評価されているのかを伺った。

「会社を辞めてアメリカの大学に来るということは、メリットとデメリットの両方があるので、この選択が正しかったかどうかは今もわかりません。ただ、こちらに来て色々と勉強になっているのは事実ですし、研究生活もそれなりに充実しているので、キャリアチェンジをしたことについて後悔はしていません。ですが、もし今の自分が、会社を辞めるかどうかで迷っていた自分にアドバイスをできるとしたら、『アメリカに来る前にきちんと事前準備をしておくように』と言うと思います。」

あらかじめ進めておく準備として、アメリカの社会や研究システムについて知っておくことを荒井さんは勧められている。

「日本とアメリカでは、生活面は当然のこととして、研究面でも異なることが数多くあります。そのため、それらの違いに関する情報は事前に出来るだけ仕入れておいた方がいいと思います。自分で体験してみないとわからないこともあるのですが、今の時代は書籍やネットなどを利用すれば、日本にいてもアメリカの実情をそれなりに把握することができます。ですが、当時の私は仕事の引継ぎや引越しの準備などで時間をとられてしまい、事前の情報収集にはあまり力を入れていませんでした。そのため、最初の頃はかなり大きな失敗もしてしまいました。現在の私にとって頭を悩ませている問題は、『充分な研究費を獲得する』と『独立したラボを早く持つ』の2点なのですが、これらについても日本にいる時にもう少し細かい情報を仕入れておくべきだったと反省しています。今は、日々の実験をしながら、こういったことを考えるのにも時間を割かないといけない状況なので、『アメリカの研究システム』についての知識を日本にいるときに仕入れておけば、これまでの自分の研究生活はもっと効率的であっただろうなと思います。
先ほど触れたように、日米では研究システムが異なります。日本の方が良い面もあるのですが、アメリカの方が優れている点も多くあります。そのため、アメリカには一時的な滞在として来る研究者でも、アメリカの研究システムを正確に把握しておけば、日本に帰った後でも役に立つことがあると思います。というのも、現在の日本のシステムでは、日本人の『優秀な面』を必ずしも全て活かしきることが出来ていないように感じることがあるからです。」
(後半に続く)
posted by dn-doctor at 00:44| インタビュー

2008年11月21日

イベント紹介:「博士課程進学のススメ−企業R&D部門におけるキャリアの考え方」

東京大学先端科学技術研究センターが、12月10日に「博士課程進学のススメ−企業R&D部門におけるキャリアの考え方」を主催します。

以下のURLより参加申し込みページに移動できます。
http://www.rcast.u-tokyo.ac.jp/ja/events/index.php#events152



(以下東京大学先端科学技術研究センターホームページより引用)
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2008年12月10日(水)
18時00分〜19時30分
「博士課程進学のススメ−企業R&D部門におけるキャリアの考え方」
場所:
外部リンク
東京大学本郷キャンパス 山上会館地下会議室

主催:
内部リンク
東京大学先端科学技術研究センター

東京大学大学院工学系研究科では、博士課程進学の機会を増やすため今年度からB日程入試(2月)を導入しました。これにあわせて先端学際工学専攻では「先端科学技術イノベータ―コース」の募集を開始しています。同コースは、16年前の設置時から社会人大学院生を積極的に受け入れてきた先端学際工学専攻において、さらに進んだ研究者・技術者のキャリアアップコースを提供するものです。
 
「最適なキャリア選択」「望ましいキャリア構築」はどうすれば実現出来るのでしょうか?  
 まず、将来の自分のあるべき姿を思い描き、そのために何をなすべきかを考え、実行することが大切です。日本経団連産業技術委員会は、「研究者・技術者が国際的プレゼンスを示すためには、博士号の取得が不可欠な要件」と指摘しており(2007年1月9日)、今後は企業で活躍する研究者にとっても博士号取得がキャリア形成における重要なポイントになると考えられます。もはや「取るか取らないか」ではなく、「いつ、どのようにして取るのか」というキャリア構築を考える時代になっているともいえるでしょう。
進路に迷っている学生の皆さん、既に決めているけれど何となく将来に不安を抱いている皆さん。博士課程で実際に教育に携わっていたり、博士号を取得して企業で活躍した教授陣に「博士についての本音の話」を聞いてみませんか。
皆さんの参加を心よりお待ちしています。
[お問合せ]
東京大学工学系研究科先端学際工学専攻イノベータコース事務局
innovator(at)rcast.u-tokyo.ac.jp (atは@)
18:00-18:20
「企業研究者のキャリアに対する考え方」
山下 秀(東京大学先端科学技術研究センター特任教授)
    九州大学大学院修了、工学博士、三菱電機、NEDO技術開発機構を経て現職
18:20-18:40
「質問力のある博士を目指せ」
宮野健次郎(東京大学先端科学技術研究センター所長・教授)
ノースウェスタン大学物理修了、PhD、東京大学工学系研究科物理工学専攻兼担
18:40-19:00
「切磋琢磨できる科学者を育成する大学院教育を目指して」
菅 裕明(東京大学先端科学技術研究センター教授)
マサチューセッツ工科大学化学科卒、PhD、東京大学工学系研究科化学生命工学専攻兼担
19:00-  講師を囲んでの懇談会
posted by dn-doctor at 23:11| お知らせ

2008年10月10日

第5回インタビュー 三浦有紀子氏 後半

後半部分では、日本とアメリカの違いや博士問題の今後などについて伺った。


学生の意識について

M:
最近、若手の会などで要求されるのが、どれくらいの割合でアカデミアに残れるのかというデータです。「普通に就職していれば年収700万、800万円見込めたのが、今200〜300万円でポスドクやっているのは、人生の選択を間違えたからだろう。そんなつらい目にあいたくないからそういう情報がほしい。」ということなんでしょうね。もちろん気持は分かるんですけど、あなたたちが頑張らなくて一体だれが頑張るの?という気持ちになります。大変そうだとやめちゃうの?って逆に聞いてしまいましたよ。

I:
学生のアカデミア志向についてですが、アカデミアを目指すのが無理なことが分かった時にしか就職を考えない学生ばかりだとすると、企業が不満を持つのも理解できますがいかがでしょうか。

M:
いやもう違うでしょう。企業にいけるなら行きたいという人も多いでしょう。分野によって違いはあると思いますが。大学でないといい研究ができないという思い込みはなくなってきているように思います。憧れは企業でバリバリやって母校に教授として戻るというものでしょうか。最初から大学に残って任期付などという保障されない立場でいるのはつらいでしょう。そうなると、アカデミアって魅力がない就職先になっちゃいますよね。

I:
学生がキャリアに関する情報を求めているとのお話ですが、日本ではキャリアディベロップメントを考える機会が大学院レベルでは足りていないか、そもそも存在しない気がします。海外だとネイチャーとかサイエンスにキャリアディベロップメントに関する独立のページがあり、すごく充実しています。それは、トップクラスのジャーナルですら基礎研究だけじゃなくて、その研究者のキャリアについてちゃんと考えているという意味だと思います。日本だとそういう動きも見られず、大学院教育が変わりつつあると言っても、まだまだキャッチアップすらちゃんとできていない印象です。

M:
アメリカだと学会やいわゆる外郭団体でそうしたキャリアディベロップメントについては結構取り上げられていますよね。「アカデミックポジションを得るために君がやらなければならないこと」みたいなものをしばしば目にします。そこには「アピール」から始まるアドバイスがいろいろと書いてあります。どこへ行けばどのような情報が得られるかということについても一覧になっています。つまり、様々なところから豊富に情報が出ているので、もう目を背けていても情報が目に入ってくる状態にまでなっているのですね。だからみんなそれなりのタイミングでキャリアデベロップメントに関する活動ができるわけです。日本ではまだまだ目を背けている人に、現状を認識させるところまでには至っていませんね。意識レベルの高い人は情報を集めて自分で考えていこうとしていますが。逆に言うと、自分で考えて情報を収集する能力や、情報を発信する能力があったら研究もバッチリやっているし、就職活動したらあっさり決まっちゃうものですよ。でもなぜ問題が生じるかと言うと、そういうことをやりたくないと思っている、あるいはできないと思っている人が一定数いるからなんです。

I:
今度本を出版されると伺ったのですが、バイオ系出身者のキャリアに的を絞った内容でしょうか?

M:
やはりポスドク問題はバイオが一番顕著なのでバイオのキャリアに限定しています。今、日本だけでなく他の国でも国家における推進分野として多額の公的資金が流れ込んだ後には必ずと言っていいほど、まさしく牽引力となった、期限付きで雇用されていた人たちのキャリアの問題が発生しています。一方で、受け皿としての産業界の規模を考えると、工学系のポスドクの方が就職活動はかなりやりやすいと思います。半導体分野などは、ポスドクが一人残らずいなくなってしまったという話もあるくらいです。

I:
そもそも工学系のそういう分野に進む学生が少なくなっているんでしょうか?工学の中でも日本のメーカーに進みそうな学生が少なくなっているような気がします。
例えば、東大の工学部では今一生懸命博士課程に来てくださいというイベントをやっていて、進学振り分けの段階から工学部のもの作りのところに来てくださいって熱心に言っているそうです。
そう考えると博士だから就職できないというより、構造的な需給の問題の打撃がすごく大きい気がします。需給にバランスがとれない時があること自体はしょうがないと思うのですが、そのバランスを取り戻すのに日本だとあまりにも時間がかかりすぎるという印象を強く持っています。

M:
だから、放っておいたら20年後にようやく需要のバランスがとれるだろうと思われるところを、政策で10年にする。20年をロスするのではなく10年のロスで済むようにするのが政策ですよね。もちろん、政策で全てを一瞬で変えることも絶対に無理なわけですが。
海外の博士問題についてですが、OECDの会合に行ったときに、同じことが話題になるんですよ。やっぱり一定数の学生がアカデミアに残りたがって滞留するというのはどの国でもあるらしいです。

I:
そうなったときに、日本と向こうで違いはあるのでしょうか?例えば日本でバイオ系人材が余っているのは大学院の定員拡大などが要因として考えられますが、海外ではどのような状況なのでしょうか。

M:
アメリカでもバイオのポスドクは余っていますよ。
アメリカでは特にバイオの予算が膨らんで、その予算にリンクしてポスドクの数が増えるからそうなるんですよ。今まで順調に増えてきた予算がプラトーに達する、あるいは下降ラインをたどる。そのときにタイムラグがあるんです。順調に増えている予算を見れば、バイオ系のPI (Principal Investigator: 主任研究員)を増やせば競争的資金を獲得し、それに応じてオーバーヘッドも増えるだろうと期待する。PIが増えればその部下であるポスドクも増えることになる。推進分野の資金を増やすのはそれが目的でもありますから。でも、予算が見込めないとなったら、非常に冷酷に人材を切ります。テニュア・トラックにのった人間がテニュアを獲得するまでには5~6年かかるのが普通ですが、その間に状況が変われば、バッサリやられてしまうわけです。テニュア審査もかなり厳しくなったという印象を口にする人は多いし、グラントの採択率も低下しているようです。

I:
アメリカだと、そういう風になってもキャリアチェンジが日本よりは障壁が低いのかなというイメージがあります。

M:
たしかに、障壁は低いと思いますが、本人のプライドの傷つき方は向こうの方が大きいかもしれないですよ。でも、みんな一晩泣いたらすっきりしてまた這い上がろう、みたいな感じはあります。

I:
逆にバイオ以外だと、大学院を出た人のキャリアの問題はどうなのでしょうか?

M:
他の分野は、そもそもポスドクになってくれないのではないでしょうか。
ポスドクにはPIが獲得した競争的資金から給与を支払うから、そんなに高給ではないでしょう。その段階で、情報系の人にはそっぽ向かれちゃいますよね。分野ごとにポスドクの給料ってすごく違うみたいですよ。またそれがシビアにデータになって出ているんですよ。NSF (National Scinece Foundation: 米国国立科学財団)が博士号取得者に対する調査を定期的にやっていて、現在の職種、年収などが明らかになっています。それを見て、次にどうするか、例えば大学院ではどの専攻にしようかと考えるようです。同じ努力でお給料が倍も違うんだったらこっちにしようとなる。
でもそれが、需給調整になっているわけです。高い給料を払わないと人が来てくれないから払う。それを見て、そっちの方が高給ならそっちに行こうとなる。

日本のポスドク問題においてもすぐにできることは情報開示ですが、今はまだ不十分です。企業での採用活動の例と同様、日本の統計調査では、修士も博士も大学院卒でひとくくりにされていますから。今選ぶ側ができることは、せいぜい高校生の段階で賃金構造基本統計調査を見ることぐらいでしょうか。各職種の年齢別賃金が大体出ています。そういうのを見れば学部に入る段階で考えられますが、そうなると誰も理系に来なくなっちゃうかもしれません。


博士問題の今後

I:
私の友人にも生命科学を専攻する大学院生がいますが、博士課程卒業者が山のようにいるのに就職先は限られている分野なので、卒業した後のことを非常に心配している人も多くいます。また、バイオ以外の分野だと、例えば物理の特に理論の世界もアカデミックの少ないポストを大量のポスドクや大学院生が狙っている状態のようですね。そういう場合、アカデミックポスト以外の道を探るタイミングが重要になってくると思うのですがいかがでしょうか。

M:
若い人に言いたいのは、キャリアチェンジするなら論文が出ているうちに、ということです。業績リストは研究生活の中でいかにサボっていなかったかの証明ですよ。出せなくなってどうしようもなくなってから、キャリアチェンジしたい、ではどうにもできないのです。履歴書と業績リストは就職活動の際に提出を求められますから。
重要なのは、キャリアの次の段階に進む前にじっくりと考えることです。具体的に言えば、博士課程の3年間と修士課程修了後に就職し職場でトレーニングを受ける3年間とどちらが自分の長い人生の中で意味を持つのか。職場での3年間の方が大学院の3年間より充実しているなら、わざわざ学費を払う必要はないわけです。同様に、博士課程修了直後に企業などに就職するのとポスドクになるのとでは、どちらがよいのか。将来について考えるのを先送りするために進学することは、絶対に避けるべきです。先ほどおっしゃっていたような「学卒の給料でいいから雇ってほしい」という博士がいるという話についても、厳しいことを言うようですが、進学前に十分考えなかったのではと思われますね。急に状況が厳しくなったのではなく、こういう状況は3年前からわかっていたはずですから。

20歳を超えた大人に、キャリアをどうこうしろとアドバイスが来るなんてことは期待しない方がいいです。それでも、誰かに言われなければこのままでずっといそうで、ヤバいんじゃないのかと思われる人に、先生たちはリスク覚悟で肩を叩いてくれるのです。「35歳までに何とかしろ。」とか言って。下手をしたら、アカデミック・ハラスメントで訴えられちゃいますからね。
「なぜあなたは次のキャリアに行ってしまうの?」という時点から活動するから次のキャリアが切り開けるのです。
逆に、周囲の人から見て、この人がアカデミック・ポストに就けなかったら、日本は相当マズイと思われるほどの人にはポストがあります。今まで見聞きしてきた状況はそうでした。公募が不公平だと言う人は深く突っ込むとやはり何かしら足りないです。そういう人には、チャンスが巡ってきている人と自分を冷静に比較して、何が足りないのかを考えてほしいです。さらに、否応なくポスドク生活に見切りをつけさせようと、制度の改変も進んできています。2007年6月に閣議決定された「イノベーション25」にもポスドクは概ね5年といった記述がでてきます。それを受けて、JSPS (Japan Society fot the Promotion of Science: 日本学術振興会)の特別研究員制度の応募資格も変更になりましたから。

I:
最後に、博士問題の今後について簡単にお考えを聞かせていただけますか。

M:
ポスドク問題にある種過敏に反応した若い人たちからドクターコースは嫌われ、雇用資金はあるのにポスドクのなり手がいないという声を聞きます。国立大学法人への人件費削減プレッシャーはきついし、定年退官で教員が抜けた後にすんなり補充できない状況下では、仕方がないことかもしれません。でもそうやって、減らしていくばかりで果たしてよいのかどうか。大学生の数は今後減っていくでしょうが、学生対教員の人数比がこれでいいのかどうかを検証すべきです。減った量を質の高さで補ってほしいという社会からの要望はますます高まってくるでしょう。


【三浦有紀子氏】

東京大学先端科学技術研究センター産学連携コーディネーター

1988年 京都薬科大学卒業
同年 京都薬科大学副手および助手
1997年 静岡県立大学にて薬学博士取得
同年 米国NIH、Visiting Fellow
2001年 国立感染症研究所細胞化学部協力研究員
2003年 文部科学省科学技術政策研究所上席研究官
2008年1月―4月 社団法人日本物理学会キャリア支援センタープロジェクトサブマネージャー
2008年5月より現職

東京大学先端科学技術研究センターでは、12月10日に説明会を開催します。
詳しい内容は以下リンクをご覧ください。
http://www.rcast.u-tokyo.ac.jp/ja/events/index.php#events152

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この冬出版される本について

三浦さんは今年(2008年)12月、京都大学の仙石愼太郎先生との共著で『バイオ博士研究者のための研究とキャリアの超マネジメント術(仮題)』という本を出版される。バイオ系で博士号を取得、ポスドク経験を経た人たちがどのようにキャリア・デベロップメントをしたのかという事例とバイオ研究者のキャリアに関するマクロデータ、さらにビジネスの世界でも通用するマネジメント術に関する解説、ラボ・マネジメントの好事例を掲載したものになるという。これから多様なキャリアパスを歩もうとする人がゼロからスタートするのではなく、先人の経験を追体験できることの重要性を感じたのが執筆の動機だとおっしゃっている。生命科学分野の関係者は特に一読の価値があると思われる。
posted by dn-doctor at 01:26| インタビュー

2008年09月18日

第5回インタビュー 三浦有紀子氏 前半

今回は、博士号取得後に米国にて研究生活を送り、その後日本で文部科学省科学技術政策研究所や日本物理学会キャリア支援センター等で科学技術政策や大学院の現状について分析を行ってきた三浦有紀子博士にお話を伺った。オルタナティブ・キャリアに限らず、アカデミアや企業での研究職も含めたキャリア・デザインについてお話頂いた。

大学院を取り巻く環境

インタビュアー(以下 ”I”):
大変お忙しい中お時間をとっていただき、誠にありがとうございます。
今日は国内の大学院が現在おかれている状況や、大学院生の就職に対する意識等のトピックについて、海外との比較や企業側からの視点なども交えながら伺いたいと考えています。まず国内の大学院が現在置かれている状況、特に大学院の重点化により生じた影響について伺えますでしょうか。定員の増加に伴って学生の質が低下したという議論も一部で起こっているようですが、この点について、大学の先生方は実際にどのようにお考えでしょうか。

三浦さん(以下 ”M”):
大学院の定員について、最近では適正数についてきちんと議論し、減らす必要があるのであれば減らすべきだと言う先生が出てきています。実際、大学院の入学志願者は2003年をピークに減少しているので、実質入学者数も減り始めています。大学院重点化は、先生にとってもメリットのあることだったから進んだのだと思いますが、やはり学生を増やすにも限度はあり、先生方も限界を少し超えているのではないかと感じていらっしゃるのではないかと思います。優秀な先生でも、目をかけ、手をかけられる数には限りがありますから。
先生方は、このような研究室内での実感に加えて、大学院を取り巻く状況を理解されています。たとえば、企業側からは、「自分たちの後継者として優秀な上澄みをとった残りの二番手、三番手を産業界に引き受けろと言われてもそんなのお断りです。」と言う意見も聞かれます。そうした状況を見て、「社会のニーズをモニターし、大学院教育に反映しなければならない。」と言い始めている先生もいます。

I:
そういう先生は今後増えそうでしょうか?

M:
社会の要請から増えざるをえないと思います。
しかし現状では、いったん学生を受け入れたら中退させられない様子がうかがえます。日本の社会通念とも関連しますが、履歴書に穴があるとか、中途半端に終わったという経歴が本人の痛手になることを考えざるを得ません。そこまで痛手を背負わせるのはかわいそうだということで博士号を出したり、ポスドクとして雇用している実態があることは否定できません。大学の先生方にとっての社会のニーズとは、卒業生を欲しいという労働市場からのニーズでもあるし、大学院で学びたいという学生側からのニーズでもあります。一人でも多くの学生の希望、つまり研究を続けていたいという希望に沿うのも、ある種のニーズに応えることになるでしょう。

その一方で、ポスドクや博士課程の学生を引き受けるのは、手を動かしてくれる自分の部下が多いと研究が進むという先生の心理があることも確かです。ただ、それは日本に限ったことではありません。アメリカでも、学生やポスドクと教員の間には、多少大げさに言えば利用するかされるかという関係があって、互いに切磋琢磨しているという感じです。学生やポスドクも利用されるばかりでなく、先生のネットワークから自分のコネクションを作っていこうという気概でいます。日本でも先生と学生がいい意味でお互いに利用し、利用されつつ前に進めればいいと思います。もちろん先ほど言ったように、日本では特有の事情があるので簡単には割り切れないことです。ただ、マクロな視点から見てみると、大学院生やポスドクは非常に優秀な人材であって、そういう人達をポスドクとして年収200~300万で長々とラボに置いておくというのは、社会全体にとって良いことなのかどうかは甚だ疑問です。もっと活躍できる道があると考えるのが自然でしょう。

先日東大のある先生と話す機会がありましたが、適正な人数を考慮した上で、大学院への進学とは別の道を良いタイミングで歩めるように、博士課程への入学をお断りすることも必要だと仰っていました。

I:
意識の変わりつつある先生の分野に特徴はありますか?

M:
どの分野が顕著かというのはわかりません。私がよくお話しするのは私自身の出身のバイオと前職で関わった物理系の先生くらいですから。ただ、大学の中で主要なお仕事を任せられ、全体に目を配る必要のある先生はそういうことをきちんと考えていらっしゃると感じます。きっとそういう先生は大学の中でも発言力があるのではないでしょうか。

I:では今後の大学院の定員については、入学者数は頭打ちの状況でもしばらく募集枠は減りそうにもない、という認識で正しいでしょうか?

M:
大学院の設置申請をする際にはいろいろな準備をして、これだけの教育環境が整っているからこれだけの学生を教育できますと言った以上、学生が集まらないからと言ってすぐにやめるわけにはいきません。定員が削減された分のインフラを、教育の質向上のために使えるという確証があるなら別ですが。今のままでは、募集枠が狭まること自体、先生にとっても学生にとってもメリットにはならないでしょう。

I:
先ほど、「大学院の定員について、適正な人数について検討し、必要であれば減らすことも検討すべきだと考える先生もいらっしゃる」と仰っていましたが、大学院を縮小することによって研究費の割り当てが減らされる等のデメリットがあると、大学の先生にはインセンティブが働かないのではありませんか?

M:
その場合、システム自体を変えようと提案すればよいのです。学生数に対応する配分ならば、本当に一人あたりの予算はこれだけでよいのかとか、あるいは数に対応するやり方以外にもっと適切な方法があるんじゃないのかとか、議論する余地はありますよね。

I:
どの程度のスピードでそうした変化が起きるのかが心配ですね。去年も博士課程の入学倍率が一倍を切っていることが明らかになりました。それは博士課程が機能していないという学生からのはっきりとした意思表示だと思うのですが、それに対する応答がどの程度期待できるのか、大学の先生の意識が変わるのにどれだけ時間がかかるのか懸念されます。

M:
確かに一倍を切ったのは意思表示ですが、バリバリやっている先生のところには学生が殺到するので、そういう先生には実感がわかない可能性もあります。ただ、変化が起き始めたらその潮流は意外に早く広まるのではないかという気もします。
たとえばあなた方のように、学生がwebでこういうことをやり始めているとか、自分のラボの学生の考え方がこれまでとは違うということに先生方も気づいているはずです。

あと少し話は変わりますが、現在のポスドク問題を考える上で一番問題なのは、大学院生やポスドクというのは社会全体から見れば、1パーセントにも満たない数だということです。文部科学省がポスドク15,000人について頭を悩ませていても、厚生労働省がフリーターは100万人いますと言えば数ではとても太刀打ちできません。単なる数の議論に終始してしまえば、ポスドク問題は取るに足らないことなのです。でも、実際には違う。この15,000人をいかに活用できるかは日本の科学技術の発展にも影響しかねない大きな問題です。


日本と海外との比較・分野ごとの差

I:
次に研究者の就職や転職について、海外との比較も含めて伺いたいと思います。人づてに一度耳に挟んだのですが、アメリカでは履歴書に年齢を書く枠がないそうです。これは年齢制限が日本以上にないという理解で正しいのでしょうか。また逆に、日本での研究者あるいは博士課程卒業者の就職活動に関して、海外と比較してどのような特徴がありますか?

M:
アメリカは歴史的に差別によって痛い経験をしてきたから、人種、性別、年齢で差別しないというのが現在では徹底していますよ。それに少しでも抵触したら、第三者機関から組織におしかりがくるシステムです。だから募集する段階では問えません。でも、実際に提出する履歴書には生年月日や出生地、国籍、性別を書くのが普通です。
今の日本の就職事情で何かおかしいのかといえば、企業がエントリーシートを選別するのに、年齢をみていることが多いらしいということです。研究開発系の人材を採用する場合でも、エントリーシートの中身を見て判断できる人が目を通す前に、何もわからない人事の担当者がさっさと選別しているとは聞いたことがあります。研究系の人たちは、「それではいい人を取り損ねてしまう」と問題にしているそうです。

I:
今お話に出た日本の雇用制度について次は伺いたいと思います。ナイーブな博士の考えでよく聞くのが、学卒の給料でもいいから雇ってくれという話です。ただこれは企業側からすると年齢の関係でそういうことはできないのだと思います。ただ、就職活動を進める際に「博士課程の人はちょっと…」というように遠巻きに断られたことがあるという話を聞いたことがありますし、エントリーシートの段階では年齢だけで判断されてしまうこともあるという今のお話にもあるように、日本では「若い段階で採用して社内で育てる」という意識が高いのかなと感じますがいかがでしょうか。もちろんそのような意識それ自体が悪い訳ではないと思いますし、業種・業界によっても博士号取得者を取り巻く現状は大きく異なっているので、ひとくくりにしてお話するのは難しいと思いますが。

M:
まず認識すべきなのは、ポスドクが企業へ就職する場合には中途採用枠での判断となることです。それは、採用活動をしている一企業の立場から言えば、他社でキャリアを積んできた同年代の人たちと比較するということです。大学院の新卒募集では、多くの企業で修士と博士の区別はありません。初任給についていえば、博士は修士との年齢差3年分の上乗せがあるというのが一般的です。
未だに年功序列でガチガチになっているというのは企業に対する大きな誤解ですね。もうそこまで年功序列ではないですよ。急激な成果主義の導入で失敗したところもありますが、成果を上げた人がきちんと見返りを受け取れるシステムにしていこうという流れになっています。それに、多くの企業がキャリア採用(中途採用)に積極的なのは、たくさんの媒体からも伝わってくるでしょう。
学生さんたちにはシステム改善が進んでいるところを選んでくださいと申し上げたいです。企業は、こうすればいい人材がとれると分かればレスポンスは早いはずですから。
新卒採用の段階で、修士と博士を比べて同じ能力なら若い方をとりますよ。でも、よく考えてください。修士の段階で就職活動するというのは、研究経験があるから採用してくださいというレベルではなく、ポテンシャル採用です。それに対し、博士課程の学生が就職活動するときには自分のテーマを持って研究してきたといえるレベルです。これは大きな違いであって、採用選考する方々にもっとわかってもらう必要があると思います。

I:
確かにそういう事情はなかなか企業には分かってもらえないという印象があります。

M:
少し前になりますが、経団連のアンケートでは博士の採用実績がある企業が、博士は非常に期待に応えていると回答しているんですよ。でも、他の企業にそういうデータを見せて、博士の採用はどうですかと聞くと、いい人に巡り合うまでの労力がかかりすぎると言われます。修士の場合、採用を受け付けた瞬間に大量のエントリーが来るので多くの候補者の中から選別できるという利点である一方、博士は探す手間がかかる割には品質保証がされていないと言われてしまうんですよね。逆に、博士を採用して良かったと言っている企業は、その手間に見合うものを博士は持っているという意味の回答なんでしょうね。

文部科学省で定期的に実施している研究開発活動をしている企業に対する調査でも似たような結果が出ています。今後の採用の増減について学歴ごとに聞くと、博士に関しては増えてないんですよね。業績好調で修士の採用を増やすと回答しているところも博士については増やさない。そもそも新卒の場合、区別しないで採用しているから、分けて聞かれたら困るところもあるようですが。

(後半へ続く)
posted by dn-doctor at 00:20| インタビュー

2008年05月31日

第4回インタビュー 高橋修一郎氏

高橋さん 今回は、東京大学の助教であり、株式会社リバネス(※1)で専務取締役を務める、橋修一郎さん(博士
(生命科学))にお話をお伺いした。

高橋さんは、学生時代、基礎研究にこそ価値があるのだと信じていた。しかし、実際に研究を始めてみると、社会に役立つことを目的とした研究にも惹かれ始める。求める研究のスタイルとして基礎と実学の間で悩むが、やがて自分は基礎的な研究だけでは飽き足らないことを肯定的に自覚するようになる。偶然、立ち上げに参加したベンチャー企業での経験と、大学における研究が最終的に融合したという高橋さんの、大学入学から現在までをインタビューさせていただいた。


大学入学と学部時代:社会的意義を求めて植物へ

高橋さんの家族は全員理科系で、母親は大学教員だった。こういったアカデミアでの研究が身近な環境で育ったため、自身も研究者になるものだと信じきっていたという。高校生の頃、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」や、「ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学」などの本を読み、生物への興味を持ち始めた。

バイオを専攻にしようと、大学は東京工業大学の生命理工学部に入学し、学部4年の研究室配属では光合成に関する研究を行う研究室に入った。しかし、研究に没頭し充実した毎日を送る一方で社会と研究現場の距離の遠さに疑問を抱き始め、「ダイレクトに人の役に立ち、社会に影響を与えるような仕事をしたい」という想いが募り始めた。
「今では太陽電池への応用など、光合成の重要性というものが認知されていますが、(大学4年生であった)当時は自分の研究が社会的にどう役に立つのかなんて分かっていませんでした。この認識が甘かったことには後々気づくのですが、当時は不勉強のくせに希望ばかりが先に立っていました。」

東大の院へ:基礎研究と社会的意義の間の葛藤

研究が及ぼす社会的意義が気になり始めていた高橋さんは、大学院から研究室を変えた。
「私が選んだ分野は植物病理学という分野でした。植物の病気を治す、ということが自分にとって分かりやすいモチベーションになるのではないかと感じました。植物の病気を治すことで、食糧が増産できる。そのような研究は、ひいては社会の役に立つだろうと。」

しかし修士になり研究室に入ってからも学部のときと同様の疑問を感じ始める。
「修士の頃はこの研究を進めて何が得られるのか、という疑問を日々感じていました。私の研究テーマはあるウィルスの病原性発現に関する研究でした。もちろん、研究活動は楽しかったし、少しでも成果が出たときには、やはりうれしかったです。でも、研究を進める中で(当たり前の話ですが)自分がやっている研究テーマは植物病理学の大テーマから見れば細部の細部で、いったいこのまま研究を続けていてどうなるんだろうと焦る気持ちがあったんですね。周りの友人は就職してすでに社会の中でしっかりと働いている。いったい自分はここで何をしているのだろう?何をすべきだろう?ということを常に考えていました。そのような気持ちで研究をしていると、自分が求める(植物の病気を治すという)大義名分の部分と日々の実験がかけ離れているような気がしてきました。これは研究をやる側の気持ちの問題であって、研究のテーマ自体の問題ではないのだということを今ではわかっています。でも、その時にはそれに気づかなかった。今、自分の反省を含めて感じていることですが、研究を始める段階で多くの学生が陥りやすい間違いとして、自分が日々行っている研究を通して世界が変わるようなことを性急に求めて過ぎてしまうことがあるのではないでしょうか。私もそんな自意識過剰に陥っていました。」

起業へ:リバネスの仲間との出会い

「このようなことを考えながら研究を進めていましたが、先生方、先輩方の姿を見ていて自分の中の目指す研究者像もだんだんと変わっていきました。自分の研究は直接世界を変えはしないかもしれない。でも、研究の積み重ねは必ず世界を変える。そう思えるようになりました。」

しかし、高橋さんは、この頃ふとしたきっかけで学部時代の友人らとともに起業をすることになる。この時に興した会社がリバネスである。リバネスは、理工系の大学院生だけで立ち上げた科学教育の学生ベンチャーだ。
「私は諦めがとても悪くて、大学で研究をする中でも、世の中にダイレクトに貢献できる何かをしたいという想いをまだ強く持ち続けていたんですね。その想いがリバネス設立に参加するという行動で現れたのだと思います。科学教育活動を通じて、世の中にサイエンスの面白さを伝える。これは、どんな研究者でもできて、且つ、これからとても重要な活動になるだろう、と直感したんですね。その想いは今も変わりませんが、立ち上げの当時、恥ずかしながらサイエンス・コミュニケーションとか、パブリック・アンダースタンディングなんて言葉は知りませんでした。」


研究モチベーションの自覚:社会的な意義の明確な活動へ


高橋さん
高橋さんがもともと目指していた研究者像は、今の高橋さんとはまったく異なるものだった。
「私の母は情報科学分野の研究者です。この分野は応用的な研究分野だとは思うのですが、母自身は完全に自らの興味関心で研究を進めているように見えました。当然のように私もその影響を受けたのでしょう、研究を始めた頃はアカデミックなことこそが重要なのだという変な固執がありました。自分の興味や関心に訴えるものがあるかどうかがとにかく重要であって、役立つ、とかあるいはお金が儲かるというのは副次的なものに過ぎないのだと信じていました。もちろん今はどちらも重要だと思うわけですが、その当時は教科書を1行増やすことのほうがお金を儲けることよりも重要なのだという価値観に勝手に縛られていたんです。」

しかし研究を進めるにつれて、社会的意義が明らかな研究の方が、自分のスタイルに合っていることに気づく。
「経済的指標ではその価値が測れない、純粋なアカデミズムというものには、昔から憧れてきましたし、今も憧れています。ただ、自分自身が純粋なアカデミックな興味だけで一生研究を続けていけるかどうかについては、研究を始めた当初から疑問に感じ続けていました。私自身がその疑問を認めるのに時間がかかったし、変な感じ方かもしれませんがその疑問を認めたときには挫折感も味わいました。でも、紆余曲折を経て最終的には、自分自身にとっては研究成果が社会にどう役立つかという価値判断基準の方が合っているんじゃないかと感じ始めました。今思えば、大学院で農学を専攻すると決めた頃から、知らず知らずのうちにそちらの方向に舵をきりはじめていたのかもしれません。」

基礎的な研究にこそ価値があると信じていた高橋さんにとって、自分がそうした基礎研究に向いていないと認めることはとても勇気が必要だったそうだ。しかし、決してネガティブにならずに素直にその事実を認めたことにより、研究とベンチャーという車の両輪からなる高橋さんその後の独自のキャリアがその後形成されていくことになる。

現在の高橋さん:植物病院プロジェクト

高橋さんは現在、リバネスに籍をおくだけでなく、大学でも植物医科学研究室の助教として「植物病院プロジェクト」に関わっている。

これまで「植物病」として捉えられていた植物への虫害・雑草害・汚染物質による損失は基礎から応用までをカバーする「植物病理学」や「害虫学」、「雑草学」などの専門家がその予防方法を研究し、対策を講じてきた。しかし家庭園芸を楽しむ人口が増加し、ヒーリングプランツや園芸療法の重要度も増してきている中で、植物病の診断・治療・予防に対する需要は社会全体で広く増加している。こうしたニーズを受けて、人やペットを対象にした「病院」にあたるものを植物でも構築しようと東京大学で進められているのが「植物病院プロジェクト」である。

高橋さんがこのプロジェクトに関わるようになったきっかけは、博士課程でお世話になった教授だった。植物病院プロジェクトの発端時に高橋さんの持つ植物病理学と会社経営という二つの専門性が結果的に評価されたのだ。
「私の場合、植物病理の専門性と起業の経験が思いもよらない形で融合しました。今も会社から出向という形で大学にも籍を置いています。大学発ベンチャーは、ある研究成果をベースにして起業するのが多いと思いますが、私の場合は、大学とは別のところで教育サービスの会社を運営していた。その経験が、結果的に大学の中での自分のアイデンティティーにもなっているので、そういう意味では特殊な例かもしれません。」
「私の研究キャリアはある特定の研究、という一つの点から広がったわけではなくて、研究や教育、といったように自分が学内外で行ってきた複数の点がそれぞれつながっていった、という感じです。自分がやりたいことを正直にやっていった結果、今のところ思わぬところで実を結ぶ結果になっています。」

最後にご自身のキャリアを振り返って、大学院後におけるキャリアディベロップメントを伺った。
「自分に正直になり、がんばりきること。正直にならないと道が拓けない。そして、がんばりきれば決して後悔は残りません。」
「努力すれば必ず成功するという保証はありませんが、私の周りで歯をくいしばって頑張っているやつは必ず幸せになっています。私は、自分のキャリアを切り替えようと思って起業に参加したとき、とても不安でした。研究でも壁にぶつかりあきらめかけたこともありました。でもそのとき歯を食いしばった経験が、結果的に自分の今の研究キャリアになりました。周りから見たらどうってことのないことを気にしてしまうのが人間というものですが、それに捉われていたらやるべきことができません。自分に正直になって、揺るがぬ信念をもつことが重要だと思います。」

(※1)株式会社リバネス
リバネスは、「科学技術の発展と地球貢献を実現する」ことを理念に先端科学の教育事業を中心に、研究開発事業、人材開発事業、農林水産事業などを手がける。
HP: http://www.leaveanest.com/

【高橋修一郎氏】
2001年 東京工業大学生命理工学部卒業
2003年 東京大学大学院新領域創成科学研究科修士課程修了
2006年 東京大学大学院新領域創成科学研究科博士課程修了(博士(生命科学))
現在は、株式会社リバネスで専務取締役を務めながら、東京大学の植物医科学研究室で助教を務める。
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2008年03月31日

第3回インタビュー Y氏

今回は法曹界で仕事をされているYさんにお話を伺った。今でこそ高い専門性が要求される世界に身をおいているが、博士課程までは理学系の研究科で宇宙の研究をされていた。宇宙理論の最前線から法曹界に身を転じたYさんにその経緯を伺った。
(諸事情により今回はインタビューを受けていただいた方の本名は伏せさせていただきます。どうぞご了承ください。)



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自分を取り巻くこの世界がどのような仕組みで出来上がっているのか知りたい、そういう想いは誰もが持っている欲求の一つである。今回お話を伺ったYさんもそうした人の一人である。
「昔から理科は好きでした。漠然とした興味ですが、中学、高校と進学するにつれてより関心が強くなりました。高校では中学と比べて高度な知識を教えてもらうことができたので、自然が段々と解き明かされていくのがおもしろかったことを覚えています。データと理論を用いて自然の摂理が解き明かされていくことに対する関心はこの頃からあったのだと思います。」

自然に対する好奇心はこの頃から強かったそうだが、同時に法律に対する関心も持っていたという。
「あまり明確なものではありませんが、自分の中で法律に対する興味があったことも確かです。学校が一方的に決めた校則に従わなければならないということがどこから出てくるのか、その目的と内容にバランスはとれているのか、といったところに疑問を持ちました。そしてその延長として、世の中で皆が守らないといけないと言っている法律はどうなのか、といったことを考えたのがきっかけだったと思います。」

法律と、自然科学に共に興味があったため、大学に進学する際は法学部に進むか、理系に進むかで選択肢は2つあった。しかし、法律に対する関心は漠然としており、明確なイメージを持てなかったため、それまでの興味に従って自然科学を専攻とすることに決めた。
「東大には進学振り分け(編者注:東大特有のシステムで、学部2年から3年に進学する際に専門とする学部を決定する制度。理系から文系に進むことも可能。)があるので、大学に入ったあとに法学部に進学することも可能でしたが、理学部に進み、自然科学を専攻にすることにしました。」


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Yさんは学部卒業後、大学院も理学系の宇宙理論を専門とする研究室へ進学した。「無」から創生し、インフレーション期およびビッグバンを経て137億年の歴史を有する現在の宇宙、そしてその未来までを研究の対象とする、日本でも屈指の環境に身を置いて研究を続ける日々だった。大学院まで進学して自然科学を研究することが、Yさんにとってどのような意味をもっていたのか伺った。
「大学院まで進学して宇宙理論を学んだのは、純粋な知的好奇心です。宇宙理論を専門に選んだ時点で、実社会への応用はあまり考えませんでした。実際、宇宙理論をそのまま応用して社会で食べていくのは困難ですし。私は純粋に宇宙がどのようになっているのか、自分の周りの世界がどのような仕組みで成り立っているのかを知りたかったのです。」

幼い頃から持ち続けていた自然に対する好奇心はこうした形で満たされつつあった。とはいえ、法律への興味をすっかり失っていた訳ではなかったと語る。
「大学院に入って宇宙研究の最前線の成果や理論を相手にした日々が続いたことには満足しており、充実した毎日でした。しかし同時に、法律への関心もまだ失ってはいませんでした。そこで法律の勉強の手がかりとして始めたのが宅地建物取引主任者資格試験(宅建)の勉強です。法律をそれまで専門的に勉強したことはありませんでしたが、当時は賃貸マンションを借りていたので、部屋の貸し借りなどで自分にも身近な法律であれば学びやすいかなと考えました。」

宅建の勉強を始めたのは博士課程1年目のことだったという。すると、これまで学んできた自然科学とは異なる世界におもしろさを覚えたという。
「それまでどっぷりと宇宙理論の世界につかっていたからこそ、自分が全く知らなかった世界が新鮮で勉強する意欲がかき立てられました。そして、学習を進めるうちに、社会において人々が規律を保ち公平に生活できるよう、法律が考え抜かれて作られているという点に驚きを覚えました。」

法律の興味深さに気づき、博士課程2年目には将来の職業として法曹界を意識するようになったという。市販されている本を用いての自学自習の日々が始まった。司法試験も視野には入れ始めていたものの、本分は大学院生であり、研究に割かねばならない時間も当然あった。このため、なかなか勉強する時間はとれなかったが、それほどせっぱ詰まっていた訳でもなかったとYさんは話す。
「今から振り返ると、当時あまり焦らなかったのは、法律を新鮮な気持ちで勉強できていたことと、司法試験の大変さをまだよく分かっていなかったためかもしれません。」


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大学院卒業後の進路には研究室に残留、企業への就職、司法試験の勉強に専念、という3つの選択肢があった。
「法律の勉強をしたかったことも確かですが、それまで学生として大学に長く身をおいていたため、社会を見てみたい気持ちもあり、就職することを考えました。司法試験もそんなにすぐに受かるものではないですし、収入の面からも就職という選択肢を選びました。あと、研究室の卒業生は必ずしも研究の世界だけではなく、実社会に出て働いている人もいました。ですから、研究室ではアカデミア以外の進路についても自然に受け止められており、私自身も就職という選択肢を自然に意識したのだと思います。」

大学院進学時には研究を直接応用して社会に役立てることを考えていたわけではないと話していたYさんだが、実際に企業を周り、就職活動を行った際はそうした考え方はなかなか理解をしてもらえず苦労したこともあったという。
「博士まで進むと、専門性を活かすような就職を企業からも求められることが多いのです。あるいは、博士というだけで遠ざけられることまでありました。就職活動時、博士課程修了予定という点を伝えると、『当社の業務内容に合致した人のみが採用の対象となります』と言われたりもしました。でもこれは問題ですよね。博士課程まで出た人が大学院の専門とは直接関係がない分野に進んでもいいと思うのですが、社会はなかなかそれを許容しない。そういう意味では、博士課程まで出ている人材の活かし方には疑問をもっています。実際、私の周りの卒業生を見ても、博士課程まで出ているということだけでその人柄・能力に疑問符がつくような人は全くいませんでした。」

最終的に、Yさんは縁のあったIT企業に就職を決めた。
「企業で働いてみると、思っていたとおり、アカデミアとは異なった刺激を受ける日々でした。大学とは違って周りにいる人たちの多様性が増えて、様々な人が時には協調しながら、そして場合によっては対立することもある環境で仕事をする生活は、改めて法律の意義を考える機会になりました。会社に通いつつ、法曹界への憧れが強まったのは確かです。」

その後、仕事をしながら司法試験の勉強を続けていたが、勉強に専念するために3年間勤務したIT企業を辞職、その年の司法試験に合格し、法曹界で活躍される現在に至る。


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法曹界に身をおかれている現在の立場から、大学院で宇宙理論を研究した経験を振り返って、Yさんは次のように語る。
「宇宙の研究を大学院までやっていて、それから法曹界で仕事をしていると、『宇宙と法律は全く違う世界ではないですか?』という質問をよく受けるのですが、基本的な思想体系は全く一緒だと感じています。宇宙の研究をする際は、ある観測で得られた結果をこれまでの理論体系に照らし合わせて考察を重ね、新しい予想を立てるという手法がとられます。おそらくこれはほかの自然科学系の研究でも同様ではないでしょうか。法律の世界でも、現実の世界で生じている個別の事象を、既存の法律に照らし合わせて判断が下されます。そして、似たような事例を多数扱った結果として、法体系のほうに矛盾が生じていると判断されれば、そちらの修正が検討されることもあります。」

大学院で得られるのは専門的な知識だけではないとYさんは続ける。
「大学院では特定の事象を自分なりに、しかし独りよがりにならずに捉え、探求するための訓練を受けることができると思います。未知の事象に対峙した際に、既存の知識を参考にしながら対象を解き明かしていくプロセスは、大学での研究だけではなく、研究の現場を離れた実社会でも応用可能なはずだと思います。そういう基本的なスキルを身につける場として大学院を考えてもいいのではないでしょうか。また、こうした研究の環境は、会社だと様々な利害関係が影響してしまいますが、アカデミアでは学問の自由も保障されていますし、一番自由な環境で研究に専念することができると思います。もちろんアカデミアでも様々な要素が研究には影響しますが、少なくとも企業のように研究内容が実社会にすぐに応用できないからという理由で予算を削られるということはありません。逆に、大学院生にとってアカデミアの弱点は時間が限られていることです。時間が限られているために、どうしても研究内容に制約が出てきてしまいます。とはいえ、期限をきらないと研究が進まないという側面もあるので、モチベーションの維持という意味では合理的であるともいえますが。大学院卒業後の進路に関しては、それまでの研究内容と仕事が直結しているのは、それはそれでもちろんいいと思います。しかし、人生は限られているのですから、様々なことを経験するには、異なった分野に進むことも必要だと考えています。」

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現在日本で勤務されているYさんだが、この夏から海外の大学院に留学される予定である。現在、知的財産に関わる仕事に携わっているが、留学先でも知的財産を始めとして不当競争や独占禁止法などをさらに専門的に学ぶ予定だそうだ。


【Y氏】
法曹

東京大学理学部物理学科卒業。
東京大学理学系研究科物理学専攻修了(理学博士)。
IT企業勤務を経て司法試験に合格。
2008年夏より留学予定。


【編集後記】
法律と物理のいずれの体系も、複雑な対象を解き明かすために緻密な論理により構築されていることは想像に難くない。しかし、双方の世界をともに経験されているYさんが、両者が基本的に同じ思想の基に体系づけられていると断言されたのが極めて印象的であった。
既存の知識体系を用いて対象の把握と分析を行い、必要に応じて知識体系そのものの再構築を行うという一連のプロセスはいかなる分野でも共通して行われており、大学院における研究もその一つである。どのようなキャリアパスを歩むにせよ、博士課程を卒業する学生は大学院で専攻した分野における論理展開の能力のみならず、それを一般化して異なった分野においても応用することを意識しておく必要があるのではないかと感じた。
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2008年02月28日

第2回インタビュー 片岡達彦氏

第2回はケリーサービスジャパンの片岡達彦さんにインタビューを行った。片岡さんは現在、ケリーサービスジャパンで理系に特化した人材コンサルタントとして働いている。今回は片岡さんが研究職からキャリアコンサルタントになるまでの道のりについてお話を伺った。


進路選択

そもそも片岡さんが農学部に進学したのは広い世界を見てみたいという欲求からだったという。
「当時はバイオや環境問題がブームでした。その影響もありますが、農学の間口の広さが良いと思いました。高校時代は水泳部に所属し、毎日タイムを争う世界でした。でもそのうちに、大学に入ったら広い世界をフィールドにしたいとだんだん思うようになりました。学部選択もその延長上にあって、入り口の広い農学・バイオ系に進めば、入学後に研究テーマとして、動物や植物、微生物など幅広い選択肢の中から選べると考えたんです。もともと生物に興味がありましたし、農学って何でもありなんですよね。例えば、薬学部に進むとフィールド調査には行けないけれども、農学のほうに進めば将来的には製薬業界にも行くことができ、あわよくば発展途上国を含む海外で、実験室の内でも外でも研究することが可能です。出来ることの幅が広いのは農学だと思いました。やりたいことが既に決まっていればいいですが、私は決まっていなかったので学ぶ中で見つけられれば、という思いがありましたね。」

「僕が進んだのは農業化学の分野だったので、実験室での仕事が多い学科でした。幅広く学ぶことが出来たけれど、実際に農作物を育てることはあまりありませんでした。でもとにかく時間は作れたので、自分で色々と興味あることに首を突っ込んだりしました。」「高校でやっていた水泳も確かに充実感はあるけれども、自然から見たらプールなんてただの水溜りじゃないですか(笑)。結局イルカに勝てないんだなと思いまして。水泳はもう高校で終わりにして、地球を舞台にして活躍したり、未知のものに出会いたいと感じました。こう考えて探検部を選んでいろんなところに行きました。冬山に行ったり、未開発地域に行って記録を残したり。先輩について行って西表島の植生調査を手伝ったりもしましたよ。」


研究生活へ

卒業論文ではウズラを使ってホルモンとビタミンとストレスの関係を研究した。卒論を書いていた頃は、就職よりも研究に漠然とした魅力を感じていた。
「周りは就職活動をしていました。そういう意味で将来のことについて意識はしていたけれども、研究のほうが面白そうだと思っていました。」

学部を卒業後、東京農業大学大学院に進学。修士課程でも引き続き動物を対象とした実験を行ったが、博士課程からは研究対象を植物に変え、東京大学大学院博士課程農学生命科学研究科に進学した。
「植物っていうのは非常に魅力的と思いました。土壌と大気の境界に存在して、土壌に根を張り、地上に葉・花・実をつける。例えば水の循環を見たときも、土から出て植物を介して空気の中に出て行く。ガスや光エネルギーもそうです。結局、植物がいろんな物質循環のキーになっていると思って、植物は一度研究してみたいなと思ったんです。それで植物の研究室に入りました。」
 
研究対象を変えたのも、「広い世界を見てみたい」という欲求と関係があるようだ。
「もしかしたら飽き性なのかもしれませんね。だから動物はもうここでいいやと思って、今度は植物と切り替えたんです。やっぱり他の世界を見てみたい、って言うのがあるんでしょう。次から次へとこういう世界を見たいという動機で動いているので、変わることに対して不安や抵抗は感じませんでした。」
 「植物分野に移って有利だったのは植物と動物、両方を常に比較できたことでしょうか。やっぱり植物の人は植物のことしか知らないですね。私は比較対象を持てました。大学院では土壌学も学んでいましたが、この動物と植物と土壌、3つの分野では研究者の気質も違って面白かったです。生物の研究は、DNAの発見、分子生物学の進展で爆発的な情報量が生産され、特に動物分野は競争が激しいので、研究のサイクルが非常に短いのに対し、植物は育てるのにも時間がかかるので、動物よりは時間軸が長いですよね。でも土壌の分野はもっとずっと長いスパンです。これが研究者の気質にも影響してるのかなと感じましたね。」


博士課程終了後 : オーストラリアと理化学研究所での研究

博士課程を1998年に修了し、CSIRO(オーストラリア連邦研究所)に留学した。
「オーストラリアでは植物の研究の中でも、特に分子生物学的手法を用いた研究をしました。普通の植物が育たないような深刻な問題のある土壌でも、ある特定の品種は生長することがわかり、その品種ではどのような生理学的な現象が起きているのか、原因となる遺伝子を同定することにより、分子レベルでそのメカニズムを解明しました。また、同定した遺伝子を異なる品種の植物に導入することによって、上述の土壌での生育にどのような影響を及ぼすか検証も行いました。」

片岡さんがオーストラリア留学の中で最も印象的だったことの中に、日本とオーストラリアでの間でのバイオに対する国民理解の差があった。
「留学して強く思ったのは、オーストラリアは農業国だから農業が産業として力がある。国民としても、日本が工業国として工業製品に興味を持つのと同じように、ワインの原材料のぶどうの品種を含め、農作物に対して高い関心を持っている。だから植物の研究に国の予算もつくんですよね。オーストラリアにいた時は、一般の人に植物の研究をしていると言うと、どういうものなのかと日本で聞かれたことのないような質問をされることもありました。同じ分野でも国によってこれだけ違うんだよな、と思いましたね。」

国民や社会の状況が違えば研究者を取り巻く状況も変わる。この体験は片岡さんの中でかなり大きかったようだ。帰国後、理化学研究所において、植物の研究を続け、植物の成長に不可欠な栄養素の吸収や転流に関わる膜タンパク質の研究を行い、研究成果を学会や論文で発表してきた。


キャリアチェンジ : 研究からビジネスの世界へ

このようにお話を伺ってみると、研究者としては順当なキャリアを歩んでいるようにも思える。しかし片岡さんは研究を続けるのではなく、ビジネスの世界に挑戦することを選択した。
「研究を続けられる環境はありました。僕のプロジェクトも転職当時であと4年残っており、予算もありましたので。けれども私の立場は期間限定のポスドクでしたので、その次はどうするのか、ということを常に考えていました。」

特にポスドクや研究をめぐる社会の環境が厳しいものであったというのも片岡さんのキャリア選択に大きな影響を与えている。
「大学、研究所ともに、好きな研究をすることが非常に難しい時代になってきたというのもありましたね。予算をとるために学生を集めなければいけないし、以前はポジションが安定して好きなことをできる環境だったのが、そういう訳にもいかなくなってきた。大学や研究室の統廃合も起こることが予想される中で、研究も教育も中途半端になる危険を感じていました。そういう大学の限界を感じる一方で、友人の影響もありビジネスに興味が湧いてきました。これまで大学や研究所で培ったキャリアをどう活かせるかなと考えたんです。研究はパトロンがいて成り立つという面もあるので、国がポスドク一万人計画と主張しても、実際には国には資金的な余裕がないことも見えてきていました。技術立国だって叫んでいながら、実際に何もやっていない。ポスドクが干上がるような状況です。そこで、そういう人をサポートする側に回れば、何かしら役に立てるのでは、と思いました。コンサルタントという仕事はこの問題への一つの解決法ですよ。」

このように考えた末、2006年にテンプスタッフケリー(現ケリーサービスジャパン)に入社。理系人材コンサルタントとして活躍している。

実際にビジネスのフィールドに飛び込んでみて、大学院や研究の中で学んだことは役に立ったのかどうか最後に伺った。
「物事の考え方が身に付きます。研究では何が必要なのか、何が本質なのかをテーマにしますよね。どういう手段をとるべきなのか、何が問題なのかを考える。これはビジネスと同じなんです。対象を決めて過去の研究を調べながら実験計画を立案し、実験してサイエンティフィックな意味のあるデータを出し、成果を論文や口頭の発表で報告します。そうした一連の流れの中で基本的な考え方やプレゼンの方法をしっかりと習得できると思います。こういうことを純粋科学の世界で学んでおくことはどんな分野に行っても役に立ちますし、考え方が習慣として身につきますね。また、博士号を持っていることによって、現職においては、研究者始めスペシャリストの方に親近感を持ってお話いただいているという実感があります。」


片岡さん写真 【片岡達彦氏】
ケリーサービスジャパン株式会社
KSR部統括部長

1998年、東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命科学専攻を修了(農学博士)。
その後、CSIRO(オーストラリア連邦研究所)、理化学研究所における研究活動を経て、2006年6月より現職。
理系人材に特化したキャリアコンサルタントとして紹介業務を行っている。




【編集後記】
 片岡さんからお話を伺っていて強く感じたのは、「広い世界を見てみたい」という好奇心が片岡さんの原動力になってきたということだ。
 研究を志す人と話してみると、好奇心や何かを知りたいという気持ちが強いように感じるが、この好奇心はどこの世界に行っても通用するのではないだろうか。研究では物事の根本的な考え方や分析力が身に付くと片岡さんは仰っているが、それも物事に対する好奇心があってのことなのではないかと感じた。
 博士課程に関しては、「研究が好きなら進めばいい」と語ってくれたが、キャリアコンサルタントとしてポスドクの方が置かれている厳しい状況も多数見ているようだ。改めて「博士問題」の難しさを感じさせられた。

posted by dn-doctor at 21:26| インタビュー

2008年01月28日

第1回インタビュー 喜熨斗勝史氏

「努力を重ねれば、結果は必ず見えてくるものです。決してあきらめてはいけないと思います。」
 20080121_kinoshiphoto3.png現在プロサッカーチームの名古屋グランパスでフィジカルコーチを務める喜熨斗さんは、まさに「努力の人」だ。プロチームのコーチを務める一方で、昨年、早稲田大学の研究員となった。「これまでの経験を生かして今後は現場で起きていることを研究の現場に持ち帰り、スポーツに興味のある人達に何が必要とされているのかを研究者に伝えたいと思っています。これは僕にしかできないことなのです。」


喜熨斗さんがサッカーに一生関わっていきたいと考えたのは小学生の頃だった。先生に相談したところ、学校の教員になることを勧められた。当時はまだプロサッカーリーグが日本にはなく、サッカーに関わり続けるためには教員になる他に選択肢がなかった。体育の教員として、サッカーに携わっていくことを目指すようになったのはこの時からだった。

大学は日本体育大学に進み、サッカーとスポーツ科学ついて学んだ。しかし大学生活を送る中で、喜熨斗さんは徐々に違和感を覚えるようになった。「心・技・体という言葉がありますが、これが実践されていないことに疑問を感じるようになりました。体を動かすことと知性は関係があると思っていたのに、当時の大学の雰囲気はそのようなものとは程遠かったのです。」

大学卒業後はそのまま教員になることも考えたが、自分が真剣に取り組めるものを模索し、その後の自分の人生について考える時間を確保するために、大学に残って2年間の研究員生活を送った。「今後どうしていきたいのか、自分は何ができるのか、何がしたいのか、このときいろいろ考えました。その結果、大学時代に感じた疑問を解消するべく、大学院を受験しようという結論に至りました。」ところが、大学院受験の直前に自宅が火事に遭ってしまう。大学院受験どころではなくなり、急遽、高校の教員として就職することになる。

教員生活では勤務校のサッカー部を指導するなど、充実した日々を過ごしていた。しかし、教員になって2年目、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)が発足するというニュースが飛び込む。「衝撃でした。確かに教員になってサッカーに関わり続けることはできていましたが、以前からより深く関わりたいと感じていたのも事実です。そんな時、レベルの高いプロのサッカーに関わっていける世界を発見したのです。」喜熨斗さんは決意を固めた。「自分が生まれてきたのには必ず理由があります。だから自分の力を信じ、最高の環境で学ぶために東大の大学院に行って、今度こそサッカーの正体を追及しようと思いました。」高校の教員を続けながらの大学院受験の勉強は、決して容易なものではなかったが、2度目のチャレンジで念願の東京大学大学院総合文化研究科に合格した。

29歳で東大修士に入った時、年齢的な焦りは少なからずあったと語る喜熨斗さん。しかしその理由は、単に周りの同級生と比較して年齢が高いためではなかった。「自分のやらなければならないことを見つけた以上、脳が硬化を始める前に早く新しいことを学んで吸収したい、という焦りがありました。だから、大学院生活においては100%頑張らないと自分が満足する結果は得られないと思っていました。でも、不安は全くありませんでした。『自分が生まれてきたことに意義がある』ということを本当に信じていたからこそ、このように思うことができたのかもしれません。」このような志があって初めて、東大院生・高校教員、そして当時携わっていたベルマーレ平塚のユースチームの指導員という三足のわらじを履きながらも、努力を積み重ねていけたようだ。

修士課程ではサッカー選手の空間認知について研究を行った。昔から視野が広い選手はサッカーが上手いということは経験的に知られていたが、これを理論的に証明しようと試みた。「前例が無いため、周りからは無理だと言われました。でもチャレンジしたかったのです。」実験では試合をイメージしたバーチャル空間の中で、被験者がどのように視線をめぐらすかを調べることにより、選手の視野の広さを定量化しようと試みた。今でこそバーチャル空間を利用した研究は様々な分野で見られるが、当時としてはかなり先駆的な実験であった。実験のためのバーチャル空間を作る際は、3台のカメラが備え付けられた車をグラウンドに持ち込んで選手の視点から撮影を行い、試合の流れを360度の風景として室内に再現した。「こんなことをしたのは、前にも後にも僕だけではないかと思います。平塚ユースの協力あっての実験でした。」サッカー選手の視点を数値化する際は、選手がどこを見ているのか細かく条件を分け、見ている時間が一番長いのはどこなのか、首を振って周りを見ているのかどうか等、詳細な検証と解析を行った。「苦労したからこそ、結果で有意差が出たときは感動しました。周りからも面白い実験だと評価して頂きました。」

修士時代の努力と実績を認められ、卒業後はベルマーレ平塚のトップチームにコーチとして招聘された。「努力は誰かに見られているんですね。必ず。」と喜熨斗さんは笑顔で語る。修士号を取得後、教員を退職してベルマーレ平塚フィジカルコーチに就任。同時に博士課程に進学した。しかしプロの世界は想像以上に忙しく、学生生活と両立できるものではないため、セレッソ大阪への移籍を機に博士課程3年目で休学した。その後プロサッカーコーチとしてのキャリアを重ねていく中で、2004年に東大博士課程に復学。しかし論文執筆は断念し、2005年に単位満了で退学した。現在は横浜FCのコーチを続けながら、早稲田大学大学院にて研究員として博士論文執筆を目指している。「単位満了退学ですが、博士課程に行かなければ良かったとは思っていません。博士課程で学んだことはいろいろあります。第一に論理的に考えることです。物事を多面的に見て論理を構築する練習になったと感じています。第二は生理学的な部分で基礎を押さえられたことです。基礎を幅広く、深く知ることが出来ました。第三に物事を形にするためには100パーセントやらなければならないと納得させられたことです。実際、東大で勉強したこともプロの世界では全く通じなかったりすることもある。でも、大学院で学んだ思考力を生かして多面的にアプローチすることにより、プロ選手達を説得して深い信頼関係を築けるようになりました。」「ただ、博士論文を書かなかったことで飢餓感というか、やり残し感は確かにあります。だからこそ今でも勉強したいという気持ちがあって、今は早稲田大学で博士論文執筆を目指しています。」
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最後に、喜熨斗さんから学生に対してメッセージをいただいた。20080114_kinoshiphoto2.png「世の中に決まったキャリアパスはありません。知識を生かせるか生かせないかは大学院を修了した後の本人にかかっており、知識をそのまま生かすというよりも、生かす方法を見つけるのは自分次第なのです。例えるなら大学院で学んだ専門という幹に、社会に出た後で色々枝葉を張って実をつけていくということ。だから幹を太くすることを何も恐れることはないのです。自分の強みを100%生かせば、必ず幸せにたどり着けると、僕は信じています。明日の自分を信じて自分で努力していくことが一番大事なことですね。」



【喜熨斗 勝史氏】
日本サッカー協会公認A級コーチ。
1983年に東京体育大学に入学。高校教員を経て、1994年東京大学大学院総合文化研究科に入学。
ベルマーレ平塚、セレッソ大阪など、Jリーグチームでの多数のコーチ経験があるほか、
三浦和良選手のパーソナルコーチを務めている。
2008年より名古屋グランパスフィジカルコーチ。

喜熨斗さんのブログはこちら。
http://blog.goo.ne.jp/lovefamily1001


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